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flower funeral -cattle-

 

NEWS

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2023.1

2023年3月9日 - 2023年6月4日
京都市京セラ美術館「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」に出品いたします。
 

京都市京セラ美術館 HP

2022.12

2022年12月09日(金) - 2022年12月21日(水)

靖山画廊「PASSION!!」に出品いたします。

 

靖山画廊 HP

NEWS
PROFILE

 

PROFILE

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髙橋賢悟

髙橋賢悟(たかはし けんご)
 
1982    鹿児島県に生まれる
2010    東京藝術大学美術学部工芸科 卒業
2012    東京藝術大学美術研究科 修士課程 鋳金研究室 卒業
2012    東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 教育研究助手
2015    東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 非常勤講師
2022    東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 博士課程 修了

【主な個展】
2016    
「髙橋賢悟」(靖山画廊、東京)

2018    
アートフェア東京(靖山画廊ブース・東京国際フォーラム、東京)(’19、’21)
 
【主なグループ展】
2010  
「どうぶつの森」(宇都宮美術館、栃木)
「南日本美術展」(鹿鳴館、鹿児島)
「第5回アートプラザ大賞入選作品展」(藝大アートプラザ、東京)(’11)
「Konsei 2」(deco galeria、ブラジル)

2012  
「三越アートフェア」(仙台三越、宮城)
「sotten」(アートフロントギャラリー、東京)
「カタカタチ。」(藝大アートプラザ、東京)(’13)
「そよ風展」(西武池袋、東京)
「大地の芸術祭越後妻有アートトリンナーレ里山アート動物園2012」 (農舞台、新潟・Anjin、東京)
「鋳物の森」(上野松坂屋、東京)
「三越×芸大 夏の芸術祭ー次代を担う若手作家展」(日本橋三越、東京)(’14, ’16)
「シブヤスタイルvol.6」(渋谷西武、東京)
「たいせつなもの展」(靖山画廊、東京)(~’16, ’18)

2013
「be green exhibition」(新生堂、東京)
「日中茶文化交流展」(東京藝大陳列館、東京・中国清華大学美術学院、中国)

2014  
「YOUNG ART TAIPEI 2014」(フマコンテンポラリーアート文京アート、台湾)
「クラフトフェアまつもと2014」(あがたの森公園、長野)(~’17)
「中国茶鏡展」(重慶、中国)
「第19回MOA岡田茂吉賞」「岡田茂吉賞アートフェア」(MOA美術館、熱海)
「下町アート動物園2014」(フマコンテンポラリーアート文京アート、東京)

2015  
「日本の鋳金 いもののかたち展」(埼玉県立近代美術館、埼玉)
「明日への坩堝展」(福岡アジア美術館、福岡)

2016  
「MATERIAL SYMPHYSIS」 (University for the Creative Arts、イギリス)
「銀ノ雫 –序– 尖光」(靖山画廊、東京)
「若手工芸作家国際展 第2回薪技芸・炎」(東京藝大陳列館、東京)
「〜未踏への具象〜 ざ・てわざⅢ」(日本橋三越、東京)
「不思議!驚異!面白い!」(彩鳳堂画廊、東京)

2017   
「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」(三井記念美術館、東京)
「不思議!驚異!面白い!」(彩鳳堂画廊、東京)

2018    
アートフェア東京(靖山画廊ブース、東京)(’19、’21)
「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」(岐阜県現代陶芸美術館, 山口県立美術館, 富山県水墨美術館)
「ジャポニズムの150年展」(パリ装飾美術館、フランス)
「銀ノ雫 –破–」(靖山画廊、東京)

2019  
「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」(大阪あべのハルカス、大坂)
「美の予感2019 —∞directions—」 (高島屋、東京・大阪・名古屋・京都)
「第48回伝統工芸日本金工展」(明治神宮、東京)
「現代工芸の展開2019」(金沢市安江金箔工芸館、石川)
「鋳金の幻想」(東京藝術大学 陳列館、東京)

2020  
「特別企画 和巧絶佳展—令和時代の超工芸」(パナソニック汐留美術館、東京)
「On This Shore」(SEIZAN Gallery, New York)

2021  
「特別企画 和巧絶佳展—令和時代の超工芸」(みやざきアートセンター、宮崎・アサヒビール大山崎山荘美術館、京都)
「時の展覧会 with Chopard」(ショパールブティック銀座本店、東京)

2022  
「特別企画 和巧絶佳展—令和時代の超工芸」(松坂屋美術館、愛知)
 
【受賞歴】
2008    
内藤春治賞(東京藝術大学、東京)

2010  
「東京藝術大学卒業展」 台東区奨励賞(東京都美術館、東京)
「南日本美術展」入選(鹿鳴館、鹿児島)

2011  
「AAC立体学生コンペディション」入選

2012  
「東京藝術大学修了制作展」メトロ財団優秀賞(東京藝術大学美術館、東京)

2013  
「第7回佐野ルネッサンス鋳金展」大賞(佐野市文化会館、栃木)

2014  
「工芸都市高岡2014クラフト展」入選(大和高岡店、富山)

2015  
「第8回佐野ルネッサンス鋳金展」NHK宇都宮局長賞(佐野市文化会館、栃木)

2017  
「第46回伝統工芸日本金工展」 新人賞 (明治神宮、東京)

2018   
藝大エメラルド賞(東京藝術大学、東京)

2019    
淡水翁賞 優秀賞

2021  

「東京藝術大学博士審査展」野村美術賞(東京藝術大学大学美術館、東京)
 
​2022
「特別企画 和巧絶佳展—令和時代の超工芸」(松坂屋美術館、愛知)
「TOSHIYUKI KAJIOKA & KENGO TAKAHASHI」(SEIZAN Gallery New York, New York)
「PASSION!!」(靖山画廊、東京)
 
 
 

SATEMENT

 

STATEMENT

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 2011年3月11日に起きた東日本大震災を目の当たりにして「死」というものを意識すると同時に、「生」について改めて考えるようになった。これを機に現代においての「死生観」を見つめ、そこから生じた「再生」をテーマに作品を制作している。

 現代の混沌とした時代、技術革新を繰り返し人々は豊かになったが、目を背けたくなるような「死」は確かに存在する。しかしそれを直視し、乗り越えた先に新たな「生」、つまり「再生」がある。

「死」と対峙し、その向こうにある「再生」を作品として具現化する事を模索し続けている。

 

 作家として日本の古典的な鋳造法から最新の鋳造法までを経験し、現在は作品を具現化する上で現物鋳造という技法を選択している。この技法では、生花を型に埋め込んで焼成することで内部の生花を焼失させる。そこに生まれた空間に溶けたアルミニウムを流し込むことで、生花は白く輝く姿に生まれ変わる。

それはまさしく「再生」を意味するだろう。私にとってこの技法は儀式的な意味合いが強い。

 神聖な火の力で生花を焼成し、あの世へと花の姿を送る。魂を鋳型へ移し、溶けた金属の熱エネルギーを鋳型へと吹き込む。型を割り、姿を現した鋳物はまだ温かく、生命の誕生のように感じるのである。

 私の制作は「命の転写」である。

CONCEPTS

 

CONCEPTS

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「Flower funeral」シリーズ

 3.11以降は現代社会において表面化する「生」だけではなく、その裏に存在する「死」を作品の視野に入れたいと感じるようになった。その試みの中で生き物の根源に横たわる「生と死」という表裏一体の概念に触れることを目的として制作を始めた作品群が「Flower funeral」シリーズである。

 このシリーズの最初の作品である「origin as a human」は「死を悼む心」の原点回帰を目的とした作品である。

合理的な経済社会は様々な恩恵をもたらしたが、戦争やテロ、貧困、自殺、人種差別など人為的な理由で、いまだに多くの命が失われ、危機にさらされている。そこで人間の「死を悼む心」の原点回帰が今こそ必要であると考えた。

 この作品は、「真実の愛」という意味を持つ勿忘草の花で形成されたネアンデルタール人の頭蓋骨に、日本の仏花で出来た花冠を手向けた作品である。諸説あるが、約20万年前に生きたネアンデルタール人は、人類として初めて埋葬した死者に花を手向ける文化を持ったと言われている。これは現代のように様式を重視した慣例ではなく、同胞を失ったという純粋な悲しみから行われた行為だと考えられる。

この原点にあるのはただひたむきに相手を思う感情であり、一種の愛情の表出とは言えないだろうか?

ネアンデルタール人の頭蓋骨には勿忘草の「真実の愛」の意味が込められている。

 

 動物たちの頭蓋骨は「消費され逝く命たち」をテーマとして制作された作品である。

資本主義社会はあらゆるものを商品として取り扱い、動物たちも例外ではない。

前提として、動物を用いる産業を否定するつもりはない。

生き物の終わりには「死」が必ず存在しており、当然それは私たちも、家畜やペットなどを含む動物も例外ではない。生産者、消費者が生と死の双方に対して責任を負うべきと考えている。

「flower funeral -cattle-」には、この責任にまつわる強い思い入れがある。

そのきっかけは3.11直後の福島原発事故の影響で起きた事件を知ったことだ。

原発から20~30kmは危険区域とされ、避難の後、酪農家の方々はすぐに戻ることができず繋がれたままの3000頭の牛を餓死させてしまった。酪農家の方々が泣き崩れながら牛に謝っている姿を、今でも忘れることができない。

このことは、動物の恩恵を享受する際に一番大切となる「命のやり取り」を今まで他者に任せきってきたことを痛感させた。私はこの原発事故は人災だと思っていたが、そこで生産された電気も意識せずに使用していた。この事故に対してあまりにも無自覚だったのだ。

 

この作品を通じて、他の命に生かされていることと、それに対する感謝を改めて思い出して欲しい。

「Second forbiddance」シリーズ

 

 この作品は旧約聖書において神が創造した最初の人類、アダムとイヴが禁断の実を食べたことでエデンの園から追放されるというエピソードを下地にしている。

禁断の実は善悪の知識の木の実とされ、禁じられていたにも拘らずそれを食べてしまったことから神の怒りを買い、二人は楽園を追い出されることになるのである。

 このエピソードは現代に当てはめても様々な解釈ができる。

「知識」という何物にも代えがたい武器を手に入れた人間は繁栄を謳歌することになったが、同時に生まれながらに原罪を背負う存在となってしまった。

知らないほうが幸せだった知識、知ってしまったが故に罪に苛まれる知識、それは科学技術や歴史認識にいたるまで偏在し、今後も増え続けていくだろう。

現代の私たちはその知識が集積した基盤の上で生活している、まさしく業の深い生き物だということは確かである。

その前提に立った上で私たちはどうするべきなのだろうか?

禁断の実を食べ惨憺たる世界に目を開くのか、自ら目を閉じ暗闇の中に安住するのか。常にその問いを投げかけられている。

 

 本作品はアダムとイヴの頭蓋骨と、二人が食べた禁断の実を制作した。

禁断の実は二口齧られている。ここで問われるのはこの二口目は誰が食べたか、ということだ。

アダムとイヴなのか、現在に連なる歴史の中の誰かか、あるいは今この世界に生きている誰かか、それともあなたか。

その解釈は鑑賞者の心に委ねるが、私の希望としてはその解釈に「愛」という要素を含めて欲しいと考えている。

アダムとイヴは楽園を追放された時、二人だった。それが結果として人類を現在まで存続させることになった。

愛せる誰かがいたことが、罪を背負って生きることの支えになったことは間違いないだろう。

目を覆いたくなるような風景が眼前に広がっていても、誰かが誰かを想う愛情も、確かにその世界に存在している。

 

 これらの作品を構成している最小の単位は勿忘草の花だ。

「真実の愛」を花言葉に持つこの小さな花に、そんな希望を込めたのだ。

「Re:birth」シリーズ  

 私の制作の主要コンセプトである「死生観」を見据えた時、次に必要な事は「生」の 概念を再構築する「再生」という要素であった。それをテーマに表現した作品である。

鹿を神聖な生き物と捉え、正面から見ると仏像を彷彿とさせるような「静」の様相を、横から見ると勿忘草の花から鹿が躍動的に生まれている「動」の瞬間を表現している。

「生」と「死」、「動」と「静」、これら二組の相互関係を一つの造形の中に混在させることで、輪廻転生の流動的な動きを表現している。

「Re:pray」シリーズ  

―本作品のテーマは「祈り」であり、祈る対象の具現化である。―
 

東日本大震災の1年後に被災地を訪れた時、その更地のところどころに以前の生活を想起させる痕跡を見つけました。
その痕跡に多くの死というものが感じられた瞬間、地面と繋がっている足裏がじりじりとしはじめると同時に恐怖や焦燥感が鳥肌とともに全身を満たしていくのを感じ、いたたまれない気持ちに襲われた私は咄嗟に手を合わせていました。

 

今まで私は、人間に対する虚無感とそれとは正反対の動物の無垢な「生」への憧れ、東日本大震災や原発事故を経験したことによる「死」への気づき、そして「死を悼む心」という3つのコンセプトに沿って作品を発表してきましたが、本作は「祈る」という行為をテーマに制作をしました。
 

「祈り」とは願いを唱える行為であると同時に未来を思い描く行為でもあります。
祈るという行為を通してネガティブな感情を強制的にポジティブな方向に転換することで、人は死を乗り越え生きる力を生み出すことが出来るのかもしれません。

 
混沌と負の感情が満ち始めている現代で生きていく上で、私たちは「祈り」という行為の重要性を再認識し、それを行うための祈る対象を必要とするのではないでしょうか。

澄んだ息吹・大山椒魚
 
 大山椒魚を上野動物園で眺めていた時、そのゆっくりとプカプカ浮きながら動いている様子は、現代社会の喧騒やストレスとは隔絶された世界の中にいるように感じられた。
その気ままな姿と大山椒魚独特ののっぺりとした造詣はとても愛くるしく、また同時に羨ましいと感じたことがこの作品の制作の契機になった。
この時期の作品はまだ「死」という要素を特別に意識せず、生き物の無垢で純粋に生きる姿に感じた憧れのようなものを主軸なテーマとして制作していた。
しかし振り返ってみると、私が制作の中で大事にしている3つの柱、「表現」「素材」「技法」のバランス感覚はこの作品の制作にあたって獲得することができたと思う。
今でも私の制作にとって重要な作品であると考えている。

 

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